政宗公祭り

  

第五十二回政宗まつりポスター



伊達政宗と岩出山

大崎市岩出山は、政宗公が仙台城へ移る前の12年間、血気盛んな青年時代を過ごした地といわれています。
現在の山形県の米沢から改易となった政宗公は、大崎のこの地を岩手沢から岩出山と改名し居城とします。今も石垣が残る岩出山城を改修したのは、江戸城を築城したあの徳川家康です。

天然の要害でであり、奥州から江戸・京都への交通の拠点として選ばれた岩出山城は、実戦でその役割を果たすことはありませんでしたが、その城郭跡では今も伊達政宗像が城下を見守ってくれております。


伊達者の「武者行列」

このように、政宗公にゆかりがある大崎市岩出山で開催されるお祭りが政宗公まつりで、昭和39年、仙台城に鎮座していた「政宗公平和像」が岩出山城跡に移されたことを契機に始められました。 今から約410年前の文禄元年、政宗公が3,000人の兵を率いて岩出山を出発し上洛した様子を再現した武者行列が町内を練り歩き、きらびやかに身を装った騎馬武者隊や甲冑武者隊などの勇壮な様子は、まさに動く戦国絵巻そのものです。

行列の先頭には、紺地に金の「日の丸」が描かれたのぼり30本を押し立て、足軽たちは三尺もの金のとんがりかさをかぶり、金の星の模様が描かれた黒い漆(うるし)の鎧を身にまとっていました。 騎馬武者は金の半月の模様が描かれた黒い母衣(ほろ)をまとい、黄金の大小の太刀(たち)を装い、ひょうや虎、熊、孔雀が描かれた馬鎧(うまよろい)にまたがっていました。 その奇抜で派手ないでたちは京の都びとを驚かせ、“伊達者(だてもの)”と賞賛の声を誘い、以来、“粋な者”のことを「伊達者(だてもの)」と呼ぶようになったといわれています。